長桂寺の歴史
この寺は今より五百二十年以上前、長享元(1487)年に漆窪城主長尾大膳長景の草創したもので、開山は勅賜禅師宝光知証曇英彗応大和尚である。開山後、永禄年代に至るまでの七十年間のことについては古記や口碑に残っていないためにわからないが、永禄十一(1568)年十月に、長尾大膳正平繁影(長景の子に繁景という者あり、石倉記)が、釈迦、文珠、普賢の三体を造って、時の住職前永平伝法源和尚を導師として開眼供養をした。その後天正年間には寺がすっかり荒れ果ててしまったが、慶長二(1598)年の僧峯月宗泉という人が寺を復興して北橘村真壁の桂昌寺の二世大超宗察大和尚を招いて開祖とした。これを中興開山と呼んでいる。この中興開山より数えて現住職二十四世まで代々引継がれて世系が絶えたことがない。
参考資料「富士見村誌」
幽篁禅寺
「幽篁」とは奥深く静かな竹やぶの意で、昔、この長桂寺は竹林に覆われていたことから、別名「幽篁禅寺」と呼ばれていた。


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